
母は心拍数と血圧は安定してきたがまだ呼吸数は多いし尿量が少なくてあまり良い状態ではない。
ただ呼びかけるとかすかに返事をするし、そう苦しそうではないのが幸い。
ただ、いくら本人が意識レベルが低いとはいえ、6人部屋の環境にワタシが耐えられずに個室が空いたら移してもらうことにした。
オットも来てくれて、今すぐという事じゃないけど何かあったら危ない状態との診断だった。
いずれにしてもそういう状態でも1日に面会できるのは10分のみ。
その他の時間は実家にいても掃除か断捨離くらいしかできないし、あまりにも寒くて頭痛までするのでひとまずオットと東京に戻った。

その前に弟と父の施設に面会に寄った。
「ママは具合が悪くて入院してるよ」 と告げたら いきなりハラハラと涙を流す父。
ワタシの知っている父は 笑っているか、すっとぼけているか、ボケてからは怒っているかの人だったので泣いている父は初めて見た。
どうやらもう母は亡くなったと思い込んだらしい。
「まだ生きてるから大丈夫だよ~」「もうすぐ帰ってくるよ」と弟となだめたのだが、誤解して泣くくらいなら一緒にいる時にもっと気を使ったり優しい言葉をかけてたりして上げればよかったのにな~ とつくづく思う。
ホントに昭和初期生まれの爺って表現系に問題ありますな~ こうなってから泣いても遅いんだよ・・・
実家で探し物があって久しぶりに衣裳部屋になっていた納戸に入った。桐たんすに付箋が貼ってあるのを発見。
「〇〇子(ワタシね)喪服」と母の字で書いてある。
開けてみたらワタシの嫁入り先の紋をつけた袷の喪服と黒の名古屋帯 帯揚げや帯締めも引き出しにまとめてあった。
ワタシが誰のために着ることを想定して用意したんでしょうねえ・・・
こういう細々とした気配りする母であった。「そんなのいらないよ~」と言っても用意する母であった。
コロナ禍中、なぜか私をエネミーとして「よその家のムスメはみんな来てメンドウみてくれているのに」「あんただけだよ、長い事来てくれなかったのは」←妄想 とそれまで見たことのない冷たい目をした母はワタシの中では母として受け入れることはできていない。
みんなコロナとその長すぎた政策のせいだとは思ってますけどね。

しかし、その着物タンスの他の引き出しも何が入っているか書いた付箋が貼ってあり着物と帯がぎっしりと・・・
それが何竿あるんだろ? 怖い・・・

そしてタンスの前には
「これはホントに良いものだからあなた着なさいよ」と前々から言っていた着物があった。

特にこの5cmくらいの厚みのある桐箱入りの訪問着と帯は確かに逸品だな~とは思った。

草木染の訪問着と

手刺繍の袋帯
